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□□ 神奈川新聞 2011.2.14記事 □□ [広報関係]

2月14日の神奈川新聞に
下記記事が掲載されました。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1102130011/

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明治期に「オッペケペー節」で人気を集めたほか、近代演劇の創始者と評される俳優・川上音二郎と、その妻で日本最初の女優貞奴(さだやっこ)。2011年は音二郎の没後100年と、貞奴の生誕140年にあたる。川上夫妻が自邸を構えた茅ケ崎市では、これを記念して9月から市美術館で記念展などが予定されている。2人の足跡をたどった。

 川上音二郎1 件は1864年1月、福岡・博多に生まれた。10代の終わりから自由民権運動に関わり、街頭や芝居小屋で政治演説を始めた。落語家に入門して「浮世亭○○(まるまる)」と名乗り、寄席芸にアイデアを得て当時の世相を風刺した「オッペケペー節」を披露、人気を得た。

 また歌舞伎しかなかった演劇の“改革”にも着手。素人の書生や壮士を集めて芝居を仕立て、日清戦争をテーマにした戦争劇などを興行して大衆の心をつかんだ。

 一方の貞奴(本名・小山貞)は1871年7月、東京・芝で誕生。芸者として人気を博していた。

 2人は94年に結婚。99年に音二郎率いる一座は海外への旅巡業に出発し、欧米各国で芝居を公演、やはり人気を博した。特に舞台に立った貞奴の日本舞踊が欧米の人々を魅了。ピカソやアンドレ・ジッド、ロダン、プッチーニなど当時を代表する文学者や芸術家が称賛の言葉を残したり、作品で取り上げたりしている。貞奴は日本最初の女優として音二郎一座の舞台にも立っている。

 海外公演から帰国した川上夫妻は、茅ケ崎市内の自邸「萬松園」に転居。萬松園は現在の茅ケ崎市美術館が立つ場所にあったという。その後、音二郎は1911年11月、貞奴は46年12月に死去した。

 「社会が大きく変化し、混沌(こんとん)としていた時代の中で、音二郎は演芸や演劇という得意な分野で最大限に自分を表現した」。川上夫妻を研究する市美術館の小川稔館長は音二郎をこう分析。一方の貞奴については「非常に自立心に富んだ女性。日本女性の美を世界に広めた」と評する。

 市美術館では9月10日から11月27日まで、資料や関係する美術作品を通じて、夫妻の国内外での活動をたどる展覧会が開催される。また期間中、講談やシンポジウムなども行われる予定だ。

 小川館長は「今の世の中も混沌としていて、何をしたらいいか分からない若者が多いと感じる。音二郎1 件や貞奴の生き方が若い人たちの指針やヒントになるのでは」と話している。

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